ロックは古いのか?? カオル
「古い唄を見習わなければ。
だけど自分自身が古い唄にならないように。
古い唄が好きなのはかまわない。
だけれど自分が古い唄になってはダメだ」
かつて「ロックである」ことが
とても刺激的で
ある世界では
そこそこの市民権を得ていた時代がある。
いずれにしても「前の世紀」の話だ。
さて。
「ロック的なもの」というのは
いつだって新しい風とともに時代を熱くさせた。
ほとんどは「前世紀の遺物」を踏みつけて
またはうまく融合してゴーっと吹き荒れた。
旧態依然を否定した新鮮な価値観。
うっとうしい現実をぶち壊して
幻想と情熱で息苦しいほどの恍惚。
それは革命的で野性的だった。
当時は。だ。
これは2011年5/4時点で
47歳の横浜チンピラ詩人カオルの「私見」である。
同世代でも「ロックに対して」は別の意見があるだろうし
前の世代や新しい時代の子供たちとっては
「そもそもロックとかどうでもいいし」って可能性もある。
時は流れてロックは保守的の象徴になった。
それがカオルの「ロック的スタイルの印象」だ。
時代はとっくに変わっていて。
「いわゆる全盛機の前世紀のロックは
とっくに古い古い化石なんだ」
ちっとも新しくないんだ。
長髪で歪んだギターをギューンとやっても新しくない。
アンプを燃やしたって誰も見ちゃいないんだ。
結局オレたちは時代を変えることなんてできなかったじゃないか?
死ぬまでロックンロールって叫んでたヤツらはどこにいった?
しがみついてるだけじゃあダメなんだ。
オレはおおいに反省をしよう。
変わらなければいけないんだ。
ビートルズだってローリングストーンズだって
不良のガキどもがはじめた20代の音楽じゃないか。
「好きであること」はかまわないだろう。
だけど演るニンゲンは
つくり発信するニンゲンはそれじゃあダメだ。
そう想った。
ロックはいつだって
ヒリヒリとビリビリしていなきゃ
追伸というか。
つまりだ。
つくるヒトは
いつだって
ワクワクするような
素敵なモノを。
ロックでポップで
キラキラしてるやつをやろうと。
「そういうヒトになろう」という覚悟をもって
カオルは唄っていきたいな。