レインとぐるるるしていると
すべての災いがとおい夢のように想える。
紙粘土で最初につくったのはレインの耳。
http://www.youtube.com/watch?v=HiMnpw-HbLg
小学校の時に読んだ北杜夫のエッセイに
「楽園とは。
人間がいないこと」と書いてあった。
人間の欲望がねっこだろう。
まだ足りない。
もっと欲しい。
よくわからないけれど
もっと欲しい。
なにかが足りない。
我々は愚かだな。
関西の詩人は
「戦争は地震じゃないからやめられるやろ」と。
科学は「自然に逆らうカンジ」で発展した。
自然の対義語は不自然で正しいのだろうか?
放射能や原子力発電所に媚びるような未来なんて
ぺっぺっとツバはいてくれるわ。
な。
レイン。
ある囲いの中が満たされたら満足?
その囲いの容積が大きくなったら満足感は得られない?
向上心は大切だと思うけれど
満足感は
他を傷つけたり
押し退けたり
欲望を強引に通したり
自然に逆らったりして得るものではないと思います。
私も欲張ってばかりいないかな。
『やわらかな心ならば
どんな形にもなれるだろう』
今日は断酒記念日ですね。
さいしょのインパクトはないなあ。
ほとんどの「善行」は
「自己満足じゃないかな」とオレは想うよ。
オレは死ぬまでと考えているから
特に数える必要もないんだけれどね。
依存症はきつい病気だよ。
「自己満足/善行」というコトバが
やはりミスチョイスだったな。
まず「善行」だ。
これを「定義」すると宗教になってしまう。
オレがよく「例え話」にする話。
女の娘が泣いている。
仕事かプライベーとかわからないが
とりあえず黙ってハンカチを差し出した。
この男性の行為を「優しいな/善行」と
感じるヒトもいるだろう。
でも女性は「なに泣いてんだ」と笑い飛ばされたり
はり倒されたかったのかもしれない。
ハンカチなどを使わずに
枯れ果てるまで泣き続けたかったのかもしれない。
わからない。
ヒトによってケースによって違う。
だから吉野弘の前に載せた「祝婚歌」をベースにすると
「正しいことをするときには
自分を疑った方がいい」という感覚がオレは好き。
「自分がされて嬉しかったことを相手にしよう。
嫌だったことはしないようにしよう」 金子マリ
66年ぐらい前は
「アメリカ人をたくさん殺すことが善行国のため」だったぞ。
オレは人前で唄いはじめて30年でござる。
『正しいことをする時には自分を疑った方がいい』
善行(相手が嬉しく感じるとして)が自然に出来る人間になりたい。
マニュアルな優しさしか出来ない自分に失望します。
今回の大地震で、多くの善意ある行動をした人にたくさん感心しました。
私は与えられたマニュアル通りなことしかできなかったから。
ただオレが言うのは「個人的なマニュアル」だ。
「世間的なマニュアル」は参考資料だな。
日々オレは体験をする。
うまれてからずっとそうだった。
石油ストーブを触るとヤケドする。
雨のデパートの傘を入れる袋を踏むと滑る。
おなじことを言っても怒るヒトもいるし
喜ぶヒトもいる。
たくさん恥をかいた。
そうやって「カオルの処世マニュアル」は
日々更新されていく。
世間的には結婚式のご祝儀などに
「相場」がある。
そして「2で割れる金額は縁起が悪い」とされる。
ひねくれていえば3万円は1万5千円になる。
とにかくオレはカネがないから
唄をうたうか絵を描く。
オレはそうしているし
できれば披露宴には参加しないようにしている。
いい気分になれたことがほとんどないからだ。
そんな風に迷いながらやっているよ。