歳よりくさい話題ばかりですまぬ。
老眼鏡をかけると確かによく見えるのだが
10分ぐらいで頭がくるくるしてよくない。
さて。
本題だ。
例えば「5000円のバイトをしないか?」と
オレがたずねる。
どんな仕事ですか。
それはな。
オレの好きな短編小説がある。
それは文庫しかなくて字が小さい。
だからあなたがパソコンなどで
全文を入力しておおきな活字で頼むと。
まあやるかやらんかはどうでもよくて
実際に適度な老眼鏡を買う金もない輩に
5000円など支払えない。
さて。
サビだぞ。
オレはワープロが出始めた頃に
「同様の仕事」をしたことがある。
あくまでも20代半ばのカオルの個人的な体験だが
オレはそれをやっているうちに格段に言葉を覚えた。
そして自然にブラインドタッチを覚えていた。
(亡父が通訳でタイプライターでよく遊んでいたので
アルファベットの配列はなんとなく知ってはいた)
文章を打ち込む。
すると「なんとなくきいたことはあるけれど
正確な意味や語源をたずねられたらアウト!!」ってコトバが多い。
しょうがないから辞書をひいて調べる。
「お。胸がじりじりするだと。
なるほろ。
ふつーわ胸がドキドキだよな」
「あれ?この辺りは回想シーンで。
うむ。夏や季節を感じさせる強い単語がないのに
なぜ夏しかイメージが浮かばないのだろうか?」
などバカなりに
「オレは乱雑にコトバを使っていたな」と反省したり。
また辞書はその目的の単語以外を
なんとなく眺めて覚えたり。
オレはこの作業が楽しかったし
すごく作文をする上で大切なものを学んだ気がしている。
当用漢字などの初歩的な漢字が読み書きできて
また「その作業が楽しい」と感じるのであれば
小学生でもやってみることを勧める。
うまく言えないが本人が嫌がらないかぎりは。
この作業がマイナスに働くことはないとオレは想う。
ちなみにいまだにわからないことがふたつある。
ひとつは「は」と「が」の違い。
例。
レインは鳴いている
レインが鳴いている
この問題は国文学者たちでもまだ論争があるらしいが
暫定的な「答え」はあるのだが
オレにはしっくりこなかった。
それと句読点の「、」を「打つ位置」だ。
ご存知の通りオレのHPやブログの
カオル文章には「、」がない。
学校では「単語の区切りに ね という文字が入るところ」と教わった。
「とても優しそうなおばあさんが(ね)、
すごく甘そうなリンゴを、(ね)くれたんだ」
意味はわかる。
自分で書いた例文に文句を言うが
そもそもそんな風に書かない。
「このリンゴなんだけどさ。
美味そうだろ?え?
さっきもらったんだよ。綺麗な伯母さまにさ」
どうかな?
「、」がなくても読めるかな?
やはり読みにくいのかな。
さて。
今回の例文にはもうひとつ「秘密」がある。
「美味しそうなリンゴを優しそうなおばあさんににもらった」
この文章は「中立ではなく主観で書かれた文章」だ。
「美味しそう」「優しそう」など想像に過ぎない。
疑おうと想えばそのおばさまが「女装の男性」の可能性もある。
この「テクニック」は
アゴタ・クリストフの小説に出てくる。
その主人公の双子たちは
戦争中で自分たちはとにかくたくましくなければならない。
よって「事実のみをクールに書こう」と。
「赤いリンゴを白髪のヒトにもらった」
事実のみで主観はない。
この辺りの感覚は「カメラワーク」と想えばいい。
主人公が言い争うシーンでは引きの固定カメラでクールに後者の方法。
逆にベッドシーンなんかは前者の希望的観測的で自由なハンディカム。
オレは。
40年かかって
たったこれだけのことしか
「作文」について語ることはできません。
興味深いお話をありがとうございます
アゴタ・クリストフ、
何週間か前に
亡くなったとニュースで知って、
『悪童日記』とか懐かしいなあ〜…と思っていたところでした
ずいぶん昔に読んだ小説なんかでも
印象的な言い回しとか表現を憶えていて、
思いもよらないときに憶い出すこと、
よくありますよね
言葉もそうだけど、香りとか
…記憶って不思議ですね